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絶対王者 御子白ユカリについて語る記事

こんにちは。

本日1月15日といえば、『ポールプリンセス!!』の登場人物、御子白ユカリの誕生日。 御子白ユカリは作中でも高い実力を持つとされ、(実際に視聴者が投票した)観客賞でも1位になるほど作品外でも人気を誇ります。 今回はそんな御子白ユカリの魅力について語ろうと思います。 (タイトルの元ネタは劇場版の舞台挨拶「絶対王者 御子白ユカリについて語る会」です。)

高い実力と意識

御子白ユカリの最大の魅力は、凛とした表情と長い手足から繰り出される、堂々としたポールダンスショーの演技でしょう。 バレエ経験者でもある彼女のつま先までしっかりと伸ばす動きは、妥協の無さを感じさせます。

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WEB版の楽曲「Queen of Fairy Sky」では

魅せつけてあげる 眩暈 起こすほどのFantastic その瞳

と歌っています。 幼馴染の蒼唯ノアは自己紹介でユカリに誘われてポールダンスを始めたと語っていますが、 彼女のソロ曲は「眩暈の波紋」であり、おそらくユカリの言葉よりもユカリの踊る姿を見て衝撃を受けた(文字通り眩暈を起こし、静かだった心の水面に波紋が起こった)ことが想像できます。 普段の言葉や表情以上に、踊る姿で語るのが御子白ユカリなのです。

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劇場版で披露した「Saintly Pride」でも「目に焼き付けて」「まばたきなんて一瞬たりともさせるわけないでしょう」「全身全霊に 染み渡るくらい強い衝動を届けましょう」と、観客を強く意識し衝撃を届けることを第一に考えており、ユカリは生粋の競技者と言える存在であることがわかります。 ショーの最後に自らのマントをエルダンジュの旗として掲げるのも、このショーこそが王者としてのエルダンジュそのものであることの表明なのでしょう。

ユカリがヒナノのショーを画面越しでなく直接その目で確かめに行ったのも、今のヒナノのショーをこの目で確かめる義務が自分にはあると感じたからかもしれません。

不器用な一面

さて、作中でも言われている通りポールダンスショーでは堂々と完璧に近い演技を見せるユカリですが、不器用な一面も持っています。

印象的なのは、作中ではうっかり何かを忘れる場面。 劇場版で、大会参加者の名前に「星北 ヒナノ」を見つけて動揺するユカリ。 ヒナノに強い言葉を放ってしまった過去の記憶で頭がいっぱいになってしまったのか、スリッパを履き替えずそのまま外に出てしまいます。

似たような場面はスペシャルボイスドラマにもありました。 夏祭りに行ったことのないユカリが、たまにはとエルダンジュの3人で夏祭りに行くことに。 この時ユカリはスマホを置き忘れてしまいますが、先ほどと同じように考えると、初めての夏祭りが楽しみで頭がいっぱいだったと考えることができます。 可愛らしいですね。

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大会の前にヒナノに会った時も、謝りたいと思っていたのに見つめるだけで立ち去ってしまったり、 ヒナノのショーを見るときもじっと見つめることで意図せずプレッシャーを与えてしまったり。 「エルダンジュのリーダー」として振舞うことはできても、 自分の個人的な思いを表情や言葉で表現するのは得意ではないように感じます。

抱える不安や孤独

また、劇場版でユカリはノアに対し、連覇によりハードルが年々上がっていくことへの不安を打ち明けます。 「ユカリちゃん、小さい頃から心配性だったもんね」と返すノア。 小学生のバレエの発表会でもユカリは直前まで何度も何度も確認するほどだったそう。 ノアの励ましに安心するユカリを見ると、ユカリにとってノアは唯一自分の身体を預けられる、ポールのような存在なのかもしれません。

特にポールダンスは、練習するだけで身体に傷が付き、技を失敗すると怪我の危険も伴う競技。 『ポールプリンセス!!』において、ポールダンスをすることは失敗や怪我、停滞といった様々な恐怖と戦い乗り越えること。 そこに関しては、ユカリを含めすべての登場人物が例外ではないのです。 彼女のショーの背景で羽が落ちているのも、時には肉体や心を削りながら舞っていることの表れなのでしょう。

更に、ユカリは絶対王者であるが故の孤独も抱えています。 「Queen of Fairy Sky」で空を飛ぶ一羽の孤独な白鳥。 「いつでも勝者は ひとりだけ」「いつでも空には ひとりだけ」は、勝負の厳しさを表した歌詞であると同時に、勝者の孤独を歌っているとも捉えられます。 「Saintly Pride」で過去の優勝時の幻影と戦っているユカリの姿は、過去を超えようとしていると同時に、過去の自分しか戦う相手としてのイメージができないことの裏返しでもありそう。

ユカリが、大差を付けられ立ち直れなくなった去年の準優勝チームのリーダーに対して「それが原因で辞めてしまったとしたら残念ね」と言っていたのは紛れもない本心でしょう。 「Saintly Pride」におけるエルダンジュの旗も、超えられるものなら超えてみろという、王者エルダンジュに対しての挑戦者を求める意図もありそうです。 だからこそかつて、ヒナノと出会い競い合えると思えた瞬間は大きな喜びであり、ヒナノがステージを降りてしまったことへの落胆も非常に大きいものだったと思われます。

全ては最高のパフォーマンスのために、という一貫性

さて、高い実力や意識とは一見相反するような不器用さや心配性な一面も持つユカリですが、この2つの要素がむしろ御子白ユカリという人物における一貫性という魅力を生み出しているように思います。

ノアがユカリに対して言う「相変わらずストイックだね」「相変わらず自分にも他人にも厳しいね」と「小さい頃から心配性だもんね」という台詞は、まさに表と裏。 御子白ユカリが休まず鍛錬に励むのは、単に自分を高めるため以上に、これくらいしておけば充分と簡単には思えない性格であるために自分の全てを費やそうとしているからなのでしょう。 相変わらず、小さい頃から、という表現が使われているのもいいですね。 かなり昔のバレエの発表会を引き摺っていることからも、御子白ユカリが幼い頃からかなり一貫した(まさにポールのような)人物であることが伺えます。

ユカリは表情から感情が読み取りにくいところがあるとも述べました。 それは、ステージ上では一切不安を感じさせない堂々とした姿を見せることの裏返しなように思います。 「自分のあるべき姿」に徹することに慣れてしまっているからこそ、安心して素の自分の表情を出せる機会が少ないのかもしれませんね。

「Saintly Pride」の「満足なんかしてる余裕なんて持ってないわ」も印象的。 単に「満足しない」ではなく、「してる余裕なんて持ってない」。 常に高みを目指しているため、文字通り他のことをしている余裕がない。 まさに御子白ユカリらしい歌詞と言えますね。

前述したようにユカリは心配性であり、「Saintly Pride」からもわかる通り負けず嫌いでもあります。 御子白ユカリの強さは、今強いことだけではなく、より強くあろう、誇り高き自分であろうとする意志なのです。 「Queen of Fairy Sky」の歌詞でも

通り過ぎてく想い出 キラキラと胸躍る闘いも 呆気にとられるくらいに 視界から消えて背中へ

とあるように、過去の闘い(「Saintly Pride」において荒野に刺さる無数の剣)はあくまで過去だと考えていることが感じられます。

ユカリの不器用さも、目の前のショーに全力であるように、目の前のことに集中してしまいがちなことから来ていそうです。 ヒナノとの過去の出来事を考えるのに集中していたり、夏祭りについて考えるのに集中していたり。 あらゆることに全力で取り組むのが、御子白ユカリの生来の気質なのかもしれません。

有限な時間に全力を尽くすことで、有限を超えていく

「Saintly Pride」の「限られた時間の中昇りたい」「最後まで堂々と」からは、 ショーの時間(そして練習の時間)が有限であることの意識が感じられます。 「Queen of Fairy Sky」の「誰もが瞬きなくすこの一秒に 永遠まで届くよな 夢を描くよ」は、まさにショーという有限の時間を、観客にとっては永遠の夢として感じさせようとしています。 与えられた有限の時間に全力を尽くすことで、無限を生み出そうとしていると言えるかもしれません。 過去の自分という存在もまた有限であり、未来の自分は可能性に満ちている。 「Saintly Pride」の背景の荒野もまた、終わりがなく広がっている。 ポールダンスにはポールを軸とした回転が存在し、回転には終点はありませんからね。

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「Just the two of us」でも、「一瞬(ひととき)のヒカリでも」「永久に輝く」とあるように、一時の時間を永遠に変え、二人の関係に存在する壁(二人の間に立つポール)を越えることを歌っていますね。

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「Saintly Pride」の「すべてと引き換えにして」は、まさにそのまま「自分のすべて」をかけて、というだけではないように感じます。 というのも、その前では「その声と引き換えにして」「あなたの声で高ぶる」と、観客からの掛け声を意識した歌詞になっているからです。 「描いてた理想」に辿り着くには、自分個人の力だけでは限界がある(個人の力は有限である)。 だから、過去を含めた自分のすべてだけでなく、他者からの期待や重圧の声(年々上がるハードル)までを含め、その「すべて」を力とする。 ユカリがWEB版以外にどのようなショーを行ってきたのかは描かれていないので推測になりますが、今回エルダンジュが打ち出した「過去を超える自分」というテーマにおいて。 御子白ユカリは過去の自分と対峙し乗り越えるために、観客の声を力にすることを初めて試みたのではないでしょうか。 そしてそれがチームメイトである紫藤サナから良い影響を受けてのことだったら、素敵だなと感じました。

おわりに

さて、ここまで御子白ユカリの一貫性、自分を超え続けようとしている強さ、全力を尽くし観客を巻き込む姿について語ってきました。 劇場版キービジュアルでユカリと対峙する星北ヒナノも、同様に自分を超えようとし、観客を巻き込む姿を見せています(ユカリが映る場面での「ありがとう、見ていてね」も含め)。 ユカリについてより深く語るならヒナノは不可欠であり、その逆でもあるでしょう。

御子白ユカリは、過去の自分を超えるべく限られた時間に全力を尽くす(そして永遠の夢を感じさせる)という意味で、創作者、競技者概念の擬人化とも言える存在です。 舞台挨拶では企画・CGディレクターの乙部氏が、自分で高いハードルを設定し自分で超えるという意味でまるで御子白ユカリだと言われていました。 だとしたら、ユカリが旗を掲げたように、乙部氏そしてタツノコプロは(これぞ、タツノコプロと)『ポールプリンセス!!』という旗を掲げ、それがタツノコプロが培ってきた技術力の象徴になっているとも言えるかもしれません。

最後に、1月15日では新宿バルト9他いくつかの劇場で『御子白ユカリ 観客賞第1位受賞記念!「劇場版 #ポールプリンセス‼︎」 お誕生日上映会』が開催されるそうです。 特別メッセージやWEB版のショー「Queen of Fairy Sky」の上映もあるそうなので、お時間ある方はぜひ。

余談:『プリティーリズム・レインボーライブ蓮城寺べる

『ポールプリンセス!!』のタツノコプロが制作に関わっていた、事実上の関連作『プリティーリズム・レインボーライブ』。 旗を立てる御子白ユカリを見て、蓮城寺べるのプリズムジャンプ「宣誓 永久のワルキューレハート」を思い出した方も少なくないのではないでしょうか。 このプリズムジャンプが披露されるのは第48話『私らしく、人間らしく』。 プリズムワールドの住人である天羽ジュネを、人間として超えようとする蓮城寺べるの姿が後半部分で描かれる回になっています。

完璧を目指そうとしたあまり心の煌めきを失い、失敗し、身近な愛に気付くことで立ち直ったべる。 ジュネを超えることが自分に可能なのか悩んだべるでしたが「君の夢を見たい」という言葉から活路を開きます。

愛を知ったべるが王者を目指すことは、再び孤独になる恐怖と戦うこと。 それでも王者になるとはどういうことなのかを知りたいべる。 そして今のべるの夢は、失敗しても成功しようと挑戦する姿を見せ続けること。 トレードマークの薔薇が旗に変わり、彼女はその意志を山の頂上で掲げるのでした。

王者であることは孤独でも、その姿を見る人々がいればそれは真の孤独ではないのではないか。 そしてポールダンス同様、プリズムショーも高く飛躍しようとするほど転倒のリスクがあり、(重力という形の)不安や重圧と戦う競技です。 だから必要なのは今の強さだけでなく、失敗しても挑める(今の限界をいつか超えるための)強さ。 10年前の『プリティーリズム・レインボーライブ』と、『ポールプリンセス!!』とで、通ずる部分があるように感じました。